荒井 かず葉

インターン期間を振り返って


ずっと憧れだった「開発の現場で働く」という夢が、たとえ6ヶ月といえども現実になるのが怖かった。結局何も出来ない自分、を見るのが怖かった。
  開発の現場に携わりたい、という思いは昔から人一倍強いものであったし、一人で海外へ行くことにも慣れていた。しかし出発直前、私の中にあったのは、ほんのわずかな期待と、感じたことのないような不安だった。
  あれから6ヶ月。時は瞬く間に過ぎていった。

半年間を通して、私は主に学校保健事業を担当させていただいたが、初めはその意義が見出せず、ただ引き継いだ仕事をこなしていくのに精一杯だった。旱魃による食糧不足でそもそも登校することすらできない生徒がおり、中には当会の活動を自分の利益獲得に利用しようとする教員がおり、学校に集められる保護者は畑仕事を休んで空腹のまま学校までの長い道のりを歩かなければならなかった。そんな中、子どもに直接アプローチをするでもなく、教員を対象としてエイズ教育を促進する意義は、それを一つのきっかけとして捉えた時に、私の中で納得のいくものとなった。

ケニアの雄大な自然とは対照的に、人間の存在はあまりにも小さい。自然に逆らうことは到底できず、雨季が来なければ作物は育たないし、家畜も人も痩せていく。権力や金といった欲に振り回される者や、自分の弱さに負けていく者。私も含め人間は皆、不完全で弱く、小さな生き物であるということを痛感した。しかし同時に、互いに助け合うことができる人間の素晴らしさも実感した。初めは「そんなものは面倒だ」と興味を示さなかった教員が、教員としてエイズの影響を受ける子ども達に何ができるか、他の教員に必死に問いかける姿を目にした。生徒、保護者の目の前で、タブーとされる性の問題に言及し、大人である自分達教員や保護者が子どもを危険にさらしていることを指摘して、協力して子どもを守っていこうと訴える教員の姿があった。教員から教員へ、教員から子どもへ、更には地域社会へ、ゆっくりではあるが、その輪は確実に広がっていった。子どもに直接アプローチせず、教員をひとつの入り口として学校地域社会の動きを促進するこの活動は、住民自らの動きを大切にするCanDoだからこそのアプローチであろう。このきっかけを経験した彼らが、今後、エイズに限らず様々な問題に直面した時に、様々な立場、性別、年齢を超えて、問題を共有し、考え、話し合って、一緒に立ち向かっていけることを、切に願っている。

生と死が近いケニアでの理不尽な出来事に、心が痛んだ。
  自分が何をしているのか、わからなくなったこともあった。
  人生で初めて、全て投げ出して逃げてしまいたいと思った瞬間があった。

迷ってばかり、考えてばかりの半年間に、周囲の方々の支えは不可欠だった。時に厳しく指導してくださった日本人、ケニア人スタッフの方々、一緒に頑張ってくれたインターンの方々、出会った全ての方々へ、心から感謝している。

開発の現場は想像していたものよりもずっと複雑で、厳しく、そして情熱のある世界だった。私がCanDoで目にしたのは、開発を仕事とするプロの姿だった。「住民のために精一杯何かをする」のではなく、「相手のことを考えながら自分の仕事に一生懸命取り組む」。半年間を経て、私はようやく、スタート地点に立つことができたように思う。