広谷 樹里

「振り返り-インターンを終えて-」


CanDoでのインターンを振り返っての反省、最も強く考えた「外部者」としてのあり方、そして最も学んだ人との関係の作り方について書きたい。
インターンに挑戦するまで、国際協力に強い関心はあったものの途上国を訪れたことがなかった私は、「現場」というものに強い憧れのようなものを持っていた。「NGOは『現場』のニーズに基づいた事業を、現地の人々と共に行う」、「『現場』での活動なら真実であるはず、いつか関わりたい」といったように。「現場」に行きさえすれば、一線を越えてぽんと向こう側へ行けるような気がしていたのだ。その向こうに何があるのかもよく知らずに。
ケニアに行ってしばらくは、現場での生活に慣れることや業務についていくので精一杯で、全体的なことを考える余裕はほとんどなかった。電気も水道もない生活は始めてで体力的にもハードだったし、担当することになった建設事業は覚えなければいけない細かいことが沢山あり、大変だった。そのような中で、自分でも気づかないうちに段々、私は「形通りにこなしていく」ことに走ってしまっていた。例えば、建設を完了した学校から在庫台帳と棚卸記録が届くと数字を照らし合わせ、おかしいところがないか点検する。しかしそれが何のためなのかよく考えずに、といった具合に。建設担当のスタッフはそんな私を見て、とことん質問することで何が大切かを思い出させてくれた。「点検するのは何のため?じゃあ、数字が違ったらどうするの?そもそも記録をつけるのは何のため?・・・」答えていくうちに、私は細かい作業にはまってしまって、事業の本来の目的をすっかり忘れてしまっていたことに気付かされた。事業の進め方、ルールの一つひとつに理由があり、大きな目的の達成のためのものであることを考えていなかったのだ。「建設事業の本当の目的は、教室を建てることじゃない。建設を通して学校地域社会が力を付けていくことだから、トラブルは避けるものじゃなくて、むしろ歓迎すべきものなんだ。」業務に慣れてきてもなお、もしかしたら慣れることによって一層、事業を回していくことに気持ちが向いてしまってトラブルを避けようとしてしまった私は、その後もトラブルにぶつかる度に、スタッフのこの言葉を思い出すことになる。
インターン期間の半分が過ぎた頃、ドナーへの申請書提出が重なった時期があり、その原稿を読む機会があったが、それはCanDo全体の事業の大きな目的を改めて考えるよい機会となった。申請書の中の「CanDoが目指すもの」や事業の「背景」を読むと、自分が今関わっている事業が何を目指しているのか、プロジェクト全体の中でどう位置づけられているのかが明確になり、整理された。オリエンテーションや初めの頃に読んだ申請書にも同じことが書かれていたはずなのに、あまり意識しなくなってしまっていたこと―「社会的能力の向上」という言葉に凝縮される、CanDoの事業の根本の考え方である。長期的な視野で住民の社会的能力の向上を図るCanDoのプロジェクトは、一つひとつの段階・問題への対応の度にその目的まで戻って考える必要があり、タフだった。
そうは言っても、頭では理解しても気持ちがなかなかついていかないこともあった。それが最も強かったのは、干ばつによる住民の窮状を受けて建設資金の一部貸与を決めたときである。その前に行った調査の結果で、間接的ながら住民の「現地資材は何とか集められても、現金だけはどうしようもない」という声を聞いていた私は、当初挙がったCanDoによる職人給与の一部負担という案に、正直「よかった」と安堵していたのだ。しかしそれが貸すことに決まり、その理由が「このような厳しい状況下でこそ、住民が危機に対応する力をつけていくのを期待することができ、プロジェクトの目的と合致するから」と聞いたとき、私は疑問とショックがわき上がるのを止められなかった。「何故、住民が十分に食べられてもいない状況で負担を強いるのか?」「CanDoは地域を助けるために事業を行っているのではないのか?」「ドナーにとって住民は確かに裨益者であり、ある意味観察対象でもあるかもしれないが、CanDoにとってはパートナーであり、彼らがいてこそのプロジェクトではないのか?これではまるで試験のようではないか・・・」
このような自分の中での問い・葛藤を通して、そしてスタッフの方々との対話を通して、自分なりに固まっていったのは以下のような捉え方である:「CanDoは外部者なのだから、外部者にしかできないことをやる。外部者として必要性を見出し、当事者にはなかなか問題として意識できなかったり、意識していても変えるのは困難な事柄に対して、外部者ならではの視点や方法を以って取り組んでいく。だから必ずしも、プロジェクトの方法は住民がその時点で最も欲しているものではないかもしれないし、こちらの意図が完全に伝わるものでもない。むしろ意図は隠された方がよい場合もある。いずれは地域を出て行くCanDoだから出来る事をやることに意味があるのだ。」
また、インターンを通して多くを学んだのは、スタッフ同志の関係からであった。日本人スタッフとケニア人スタッフ、スタッフとインターン・・・。様々な関係を見たが、みな「教え育てる」ことが本当に上手だった。全て説明してしまうのではなくまず考えさせたり、新人の意見も真剣に聞いてくれる。そして何より、何のために何故それをするのか、徹底的に考えることを教えられた。日本人スタッフとケニア人スタッフ、コンサルタントとの間には並々ならぬ信頼感があり、どんなフィールドでも大切になるであろう人との関係の作り方の大切さを、身をもって感じることができた。いつか自分が後輩を教えるような立場になったとき、必ず見習いたいと思う。
現場で自分の「外部者性」を痛感したりしたこともあり、自分がこれからどのように開発に関わっていくのか、そのために何が必要なのか、今はまだはっきり見えていないし、考えも整理できていない。しかし、この半年の経験が私の大きな財産となったのは確かである。最後になったが、経験もなく、考えが足りずにミスや不足ばかりだった私を見放さずに温かく指導して下さり、生活面でも支えて下さった全てのスタッフ・インターンの方々に心から御礼申し上げたい。 (平成18年4月)