森本舞佳

「わたしが、見たもの」


ムインギの丘の上にある水タンクから、村々を見下ろすことが私の中で密かな楽しみだった。

夕暮れ時になると、あちらこちらから立ち上る細い煙を見ることができた。それは多分、夕食の準備を始めたサインだろう。家というような家をあまり目にすることはできない。そこにあるのは多い茂る木々や、砂に覆われた地だけだった。しかし、私はその煙で「あの辺に家々があるのだろう」と確認することが出来た。確かに、そこには人々の暮らしがあった。

ケニアでの6ヶ月間、わたしは「いきる」ということと「豊かさ」ということについてよく考えていたように思う。「豊かに生きる」ということとは、どういうことなのか。このことについて、はじめの頃は「豊かさ」と「物質的な何か」を切り離して考えることが出来なかった。そのため私は、CanDoが進めている事業がよく分からなくなった時期があった。食料不足、または何らかの理由で教育機会から離れざるおえなくなってしまった子ども達。目にすることができる問題と、確かなニーズがそこにあるにも関らず、そこには決して支援の手を出すことはない、なぜか。しかしこのような疑問と平行して、私の中でさらに膨らむ疑問があった。「なぜそれほどまでにエイズにこだわるのか」ということ。

私はインターンでの半年間、保健事業に携わらせていただいた。初めから終わりまで、どっぷり保健事業に浸かっていたように思う。しかし実のことを言うと、初めの頃は保健事業に配属されたことを、心のどこかで不服に思いながらやっていた。「体の健康なんて二の次じゃないか」という思いがあった。施設拡充や、教員へのトレーニングの方がよっぽどインパクトが大きくて、“なんとなく”効果的ではないかと思っていた。しかし3ヶ月を過ぎた頃からそんな考えは全くなくなっていた。1人で頻繁に現場に入るようになり、そこで多数の保健トレーニングやエイズ学習会を見てきた。それらを通して、さらには地域住民の方々やケニア人スタッフから、保健活動、または「エイズ」を取り扱う学習会を介して発信されるメッセージがどれ程重要であるかということを学んだのだ。

事業地でもあるムインギ県のヌー、ムイ、グニ郡には、エイズに対して宗教、または文化慣習によるマイナス的思考が非常に強く根付いている。それは確かに常識的、または一般的に考えてみれば明らかに「良くないこと」であったとしても、私たちは外部者である以上は、彼らの「宗教」や「文化」ということに関して関与するべきではないし、それは不可能なことだ。しかし同時に、私たちは何らかのアプローチをしていく必要もある。それは私にとって、非常に困難なことであるようにはじめは思われた。だが答えはすぐ目の前にあったのだ。そこには間接的に彼らの宗教や文化に言及するような、トレーニング、または学習会があった。エイズの感染予防に関して“コンドームは有効ではない”というような宗教的考えを持つ人々には、コンドームを使用することの重要性に関して科学的知識を持って話すことができる。文化的慣習として、地域に未だに残るFGM(女性器切除)に関しても、エイズの感染リスクの説明を介して言及することが可能になる。このように、エイズの感染経路、または感染予防に関する話を通して私たちは重要なメッセージをも同時に彼らに向かって発信しているのだ。

CanDoが実施している、トレーニングや学習会のゴールは「地域の人々の健康」だけではない。その先に見据えているものは、社会的豊かさ、または「豊かに生きる」ということなのだと私は確信した。

しかし実際、トレーニングや学習会に参加することによって得られる知識よりも、何かしらの物質的なインセンティブを得ることを期待する住民が非常に多く存在した。物質的に満たされることは、確かに短期的な目で見れば豊かであると言えるだろう。または、保健に関する機会に参加しているよりも、畑仕事をする方が大事だと考える人も多いだろう。しかし同時に、「では長い目で見ればどうだろう」という疑問も同時に考えられる。健康で元気な体がなければ、畑仕事のような彼らの経済を支える基盤も維持できなくなる。食物など、多くの何かしらの物資などが第三者から与えられたとしても、防げるはずの病気をただ「知らなかった」ことによって、彼ら自身の生活に支障が出ることは果たして豊かだと言えるだろうか。私は、そうは思わない。重要なことは、彼らが彼ら自身の力を持って、彼らの生活を運営できる、ということではないだろうか。それをあらゆる病気や健康被害だと考えられるリスクから彼ら自身で回避できること、また「知る」ことを通して彼らが「選択する」ということ、そういったことが「豊かに生きる」ということなのだと、私は気づいたのだ。

 CanDoでの事業を通して出会った人々は、何百人にも上るだろう。私はこのことをとても自慢に思っている。住民だけではなく、行政官と直接話すことができる機会も多数あった。普通の大学生では考えられないことだ。彼らは、こんな何も知らない子供のような私に、(本心はわからないが)対等に話し合う姿勢を見せてくれた。また同時に、そのような機会に立ち合わせて下さったことをCanDOのスタッフの方々に対して非常にありがたく思う。6ヶ月という非常に短い期間であるにも関わらず、何事にも真剣に指導して下さった日本人、そしてケニア人スタッフスタッフ。仕事以外の場では楽しく話したり、冗談を言ったり、ただの「同僚」では済まないような、私にとって大切な存在になった。楽しんでばかり、学んでばかりの6ヶ月間は嵐のように去って行ったが、それは私に多くの財産を残した。

体を洗えないような日が3日以上続いた日があった。

夜ごはんがない日があった。

朝起きたら自分のベッドに大きなゴキブリがいた日があった。

暑くて眠れずにドアを開けたまま寝た日があった。

空が広かった。

太陽が近かった。

星が降るようにたくさんあった。

緑が濃かった。

木々が、やたら大きかった。

親切なケニア人がいた。

いじわるなケニア人がいた。

私の財布を盗んだケニア人がいた。

噂話がすきだった。

よく笑っていた。

そして、私の将来に大きく影響するような気づきがたくさんあった。

これらの財産は、私を「豊か」にしたことは間違いない。

 ムインギの丘の上にある水タンクから見えるのは、多い茂る木々や、砂に覆われた地である。しかし私はそこで生活をしている人々の姿や、顔を詳細に思い浮かべることができる。なぜなら私は、そこにいる彼らと顔を合わせ、彼らがどんな生活を送っているのか見るチャンスに恵まれたからだ。彼らは力強く、そして豊かに生きていたように、私は思う。

ムインギの水タンクがある丘から見える風景。手前に見える建物群はムインギ病院。