■診療所支援■

CanDoが活動を展開しているムインギ県ムイ郡は、もう一方の活動地であるヌー郡から1999年に分割されたところで、郡庁在地に1つ配置されるはずの保健センターが存在しませんでした(ヌー郡には存在)。ムイ郡での公的医療サービスは、診療所が2ヶ所と、隣のキツイ県から来るカトリック教会の巡回診療のみ。その巡回診療も、2000年7月に終了してしまいました。このように医療・保健システムの弱いムイ郡で、CanDoは1998年から保健事業を開始しました。

●ムイ郡の2つの診療所
(1)ムイ診療所
−ムイ郡の診療所の1つ、ムイ区のムイ診療所は、イギリスの植民地であった1936年に開設されました。8畳ほどの狭い診療室に、看護士1名が常駐し、軽い症状の疾病や傷の最低限の治療を行なっていました。住民は96年に自助グループを作り、予防接種や母子保健などのできる準保健センターにするために、新棟の建設を進めていました。しかし、資金難で完成の見通しが立たない状態となっていました。

(2)キティセ診療所−カリティニ区マルキ村のキティセ診療所は1988年の開設。保健センターの水準の医療サービスを提供することを想定して建設されたため、診療棟と母子保健棟の2棟があります。しかしスタッフは看護士1名と郡全域の公衆衛生について管理・監督する公衆衛生技官が1名で、診療棟のみを使用していました。マルキ村に郡庁所在地が置かれた99年、診療所に県保健局がワクチン保存用の冷蔵庫を供与。予防接種サービスにも取り組み始めました。

●ムイ診療所拡張事業への協力
 住民グループによるムイ診療所の拡張事業に対して、CanDoは1998年、医療機材の資金確保に協力し、99年に新棟が完成しました。また、保健状態の向上には欠かせない地域住民の保健衛生の知識と実践に関して調査を実施し、住民参加による保健医療活動の方向性について検討しました。2000年4月、新しい診療所が正式にスタートし、診療所運営委員会による運営体制を整えることになりました。しかし、地域の有力者の地位争いの場となり、住民が対立。何度か委員会の改選が行なわれましたが、運営委員による診療所の閉鎖とそれに続く委員らの逮捕といった事件も起こり、地域の争いの影響を受けて、運営体制を整えるための努力が難航しています。

●キティセ診療所を拠点に基礎保健(PHC)の制度構築へ向けた活動
 ムイ診療所の状況を受け、2000年後半に活動の重点をキティセ診療所へ移し、そこを拠点とした基礎保健制度の確立に取り組むことにしました。まず調査を実施して状況を把握。その後、後述の母親(出産適齢期の女性)対象基礎保健トレーニングを開始しました。また、今後はキティセ診療所を拠点とした伝統助産婦(TBA)へのトレーニング実施を計画しており、診療所の母子保健医療サービス拡充へ向けた支援について、診療所との話し合いを続けています。なお、キティセ診療所は2003年、保健センターに昇格されました。