エル・ニーニョの影響について思うこと (1998年4月・会報第2号より)

今年に入って2回、1月と3月にそれぞれ2週間ずつケニアとウガンダを訪れました。1月の半ばから末は大雨で大変でした。本来なら乾季のこの時期は、年末に産まれた動物の子どもたちが巣立つため、一番観光客が多いはずなのですが、エル・ニーニョの影響で毎日数時間の日照時間があるだけという、雨季のような気候でした。

ナイロビ市内のインド系の人々が住む地域では道路が20cm以上も冠水し、 「インド洋になった」との冗談が出るくらいでした。空港近くの幅6〜7mの川が溢れ、5人もの子どもが溺れて亡くなったりもしました。

インド洋に面したケニア第2の都市、モンバサからコンゴ共和国(旧ザイール)の首都キンシャサを 経て大西洋岸まで、広大なアフリカ大陸を横断する国際道路があります。ナイロビやキスムといったケニアの内陸都市ばかりか、ウガンダ、ルワンダ、ブルンジといった諸国へも物資を運ぶ生命線です。この道路の橋が大雨で流され、石油をはじめ全ての物価が上昇し、市民生活にも影響を与え始めてきました。外国人にとってはタクシー料金が1.5倍にもなったことは痛手です。

外国人はともかく、現地の人々にとって、これからの問題は食糧事情です。ケニアの主食はウガリというトウモロコシの粉を蒸したものですが、ウガンダの主食はマトケという生のバナナを蒸したものです。小麦、米、トウモロコシのように、乾燥させたものは貯蔵できますが、生のバナナはそうは ゆきません。季節外れの大雨でバナナが立ち腐れでもすれば、たちどころに深刻な食糧危機が生ずるに違いありません。ケニアでの主な野菜のスクマの生育も気になります。

私たちの国が「飽食の時代」といわれるようになって久しくなりますが、アフリカ諸国では食糧の自給にはまだ時間が必要です。地球人口58億人を考えた、真の国際政治はいったい、いつになったら生まれるのか、長雨に閉じ込められた宿舎で考え込んでしまいました。





ホームへ戻る