8月7日金曜日、午後8時過ぎ、ムインギ県から戻ってきて知らされた−
アメリカ大使館爆破事件に思う
1998年10月[第4号]より

「今、ナイロビは爆破事件で大騒ぎですよ!」爆破事件当日午後8時過ぎ、何も知らない私たちスタッフが現場出張からナイロビ事務所に戻るや否や、それまで一人で留守番をしていた学生ボランティアに初めて事件のことを知らされた。日本では同じ日の夕方7時(日本時間。ケニア時間午後1時)のニュースで第一報があったというから驚いた。ショックである。250名を超える人々の命が奪われたことはもちろん、私たちが事件に巻き込まれていたかも知れないことを考えるとぞっとする。事件現場は、私たちが毎日のように利用しているマタトゥ(乗合バス)の終点かつ始発点の目と鼻の先である。朝10時半頃に、街中での用事のためにマタトゥから降りて歩いていたり、事務所に戻るためのバスを待っていたりすることは決して稀ではない。ただでさえ治安の良くないナイロビが、さらに歩きにくい街になってしまったのは確かだ。

とは言っても、白昼の路上での強盗や強奪、混雑したマタトゥでの盗難、そして猛スピードで疾走するマタトゥの交通事故など、本当に恐ろしいのはこうした日常的に起こる事件である。考えてみれば、高額の現金を持って街中を歩かなければならない時など、私の表情はおそらく誰も寄せつけないほど恐ろしいものになっているのだろう。

私たちの事務所を初めて訪問する人々は、ケニア人でも日本人でも必ずと言って良いほど「立派な事務所ですね」という感想を残して行く。確かに一般のケニア人の住居と比べれば断然設備の整った近代的なアパートである。しかし、「日本人=金持ち」としか思わない人々が多いナイロビで犯罪から日本人スタッフを守るためには、ある程度高い家賃を払ってでも警備の充実した場所を選ばなければならない。

今回の爆破事件のような大規模な事件であれば、遠く離れた日本でもわずか数時間後に報道される。マスメディアの敏速な対応には感心させられた。反面、この事件はマスメディアが伝えない日常的な脅威について改めて考えるきっかけを提供してくれた。





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