2000年
[第13号]憲法改正案の国民投票の結果

インターン  山脇 克子

11月16日の新聞から、ナイロビのムクル地区での密造酒による被害が報道され始めた。病院に運び込まれる人の数は日ごとに増え、18日の新聞によると113名が死亡、400名以上が入院。命が助かっても失明する者も出ている。11月15日にスラムで製造され、ナイロビの各地で売られた密造酒にメタノール(メチルアルコール)が入っていたのである。

亡くなった人の中には、高校を卒業したばかりで、寮からスラムに帰ってきた学生も何人かいたという。被害者が一番多かったのがルーベンスラムのすぐとなりのジェンガスラムだったので、(まさかとは思うが、うちの学生には…)と心配したが、CanDoの奨学生は去年卒業した者も含めて全員無事だった。

「チャンガー」と一般に呼ばれる密造酒による被害は初めてではない。ケニアでは都市、農村にかかわらず売られており、毎年何百人もの人が命を落としたり失明したりしている。しかし、その危険性を知らない人もまだ多いようである。

もちろん密造酒は違法であるが、警察官はそれを取り締まるどころか口止め料として、ただで飲んでいるケースもあるらしく、白昼堂々と売られている。

密造酒は、コップ1杯を10ケニアシリング(約15円)で売っていることから、スワヒリ語の10=クミから、「クミクミ」ともいう。「たった10ケニアシリングで命を落とした」と被害者の家族は嘆いている。チャイ(ミルクティー)が1杯、6ケニアシリング、ビールは1 本、50ケニアシリング。クミクミは安くて、おいしくて、いやなことを忘れられる、と特にスラムでは日常的に飲まれている。

シンナーを吸う路上の子どもたちも、麻薬を常用する若い人たちも同じことを言う。安くて、気持ち良くなれて、いやなことを忘れられる。子どもたちはその危険性を知っているのだろうか。スラムに暮らす学生たちが意思を強く持ち、自分を大事にしながら生活を送ってほしいと願うばかりである。

  チャンガーは
  ビールの
  5分の1の値段で
  いやなことを
  忘れられる…



(2000年12月発行 会報第13号「ナイロビ便り」より)


[第12号]ケニアの計画停電

事務局長  國枝 信宏

降雨量不足で水力発電に影響が出て最高で11時間の停電

6月にケニアへ出張する直前になり、ケニアでは「計画停電」が開始された。発電量が消費量に追いつかないので、曜日と時間帯を決めて配電の制限をする、言わば給水制限に似た措置である。水力が電力の重要な供給源であるケニアでは、昨年から続く降雨量不足で各地のダムの水位が降下しているため、放水を伴う発電を制限する必要が出てきた、というのが政府と電力会社の説明だ。当初は長くても毎日6時間程度の停電であったのが、その後の変更で、最高で11時間の停電が毎日続いている。この計画停電により、CanDoナイロビ事務所の業務に対して大きな影響が出ている。プリンタやファックスは使えない、文書作成やEメールはコンピュータのバッテリが続く数時間のみ可能、という状態で、大部分の事務作業は確実に電気のある真夜中に進めるよりほかない。また、夕食は準備から後片付けまでロウソクの灯となるので、生活のほうも落ち着かない。いかに現代人が電力に頼って暮らしているのか、思い知らされる毎日である。

打撃をうける都市部のビジネス街とほとんど変化のないヌーの生活

首都ナイロビをはじめ都市部のビジネス街や工業地帯は、停電により打撃を受け、経済への影響のほどが懸念されている。至るところで発電機を使用して苦境を乗り越えようとしているが、ガソリンや灯油の値上げも起こる。それに伴い乗合バスも値上げするなど、庶民の生活にもさまざまな影響が出ている。

ある日、計画とは無関係の停電によりケニア全土が一晩中暗闇に包まれた。現在、電力の一部を輸入している隣国ウガンダ側のトラブルにより送電が突如停止したのが原因だった。各地の送電網が連鎖反応で麻痺してしまったのだ。日本で万一同じことが起きたら、と想像するだけで恐ろしくなる。

1997年の暮れにエル・ニーニョ現象による大雨で全国的な混乱が生じたが、今回はそれに匹敵するとみる声は少なくない。例年10月頃から始まる雨季にまとまった雨が降れば間もなく正常に戻る、という予測が一部にあるが、楽観視はできない。

そんな中普段から電力の恩恵を受けていないヌー郡やムイ郡の暮らしには変わった様子はない。私たちが忘れている生活の原点を、見せてくれているように思えてならない。


(2000年9月発行 会報第12号「ナイロビ便り」より)





「第10号」1999年のケニア概況
       干ばつから都会では電力武装、村落部では農作物の不作の問題



1998年にエルニーニョ現象の影響で記録的な豪雨を経験したのに対して、99年は雨が極端に少なく、ケニア全土で干ばつが大きな問題となった。

都市部でナイロビをはじめとする都市部では、
電力の主要な供給先であるダムの水位が下がったために、計画停電が行なわれた。CanDo事務所のあるナイロビ西の郊外の住宅地域では、火・木・土の週3 回午前8時から午後1時まで停電した。これは工業地帯やビジネス街にも適用され、ケニアの経済に大きな打撃を与えたと言われている。

停電中のビルの会社で、
パソコンやコピー機が使えずに仕事が止まってしまい、社員が途方に暮れている様子がよくみられた。

村落部で
村落部では、農作物は不作で、また家畜も被害を受けて、深刻な飢きんとなった。一番被害を受けるのは育ち盛りの子どもたちだ。小学校では、長期欠席や中途退学が増加した。

「前の日から何も食べていないので、勉強に集中できず、教室でぐったりしている子どもたちが多い」
と先生から聞いた。 WFP(世界食糧計画)の支援による学校給食がない小学校で、特に生徒数は大きく減った。ある小学校では、学校に来ていない子どもたちが、裕福な家の畑で働いて小銭を稼いだり、毎日食料を探しに山へ行って果物や小動物を獲ったりしていたそうだ。 11月から雨が降り出し、12月には青々とした畑が広がった。

*2000年2月2日、WFP(世界食糧計画)は、ケニアの降水量不足のため、300万人近くが飢えに直面する恐れがあると警告。4340万円の拠出を各国に求めている。(ナイロビAP)


(2000年3月発行 会報第10号「ナイロビ便り」より)