「ワールドカップの熱狂の陰で」 (2002年9月・会報第20号より)

今回のケニア出張は、幸か不幸かサッカーのワールドカップ(W杯)の開催期間をはさむ1か月半。サッカー人気の高いケニアでは、W杯期間中、あたかも自国チームが出場しているかのような盛り上がりを見せていた。街では商店や食堂のテレビに群がり、農村では新聞を手に、あるいは乗合バスの中でW杯談義に花を咲かせるなど、ふだんとは違った人々の様子が見られた。セネガルの健闘ぶりについては特に喜びは大きく、「アフリカの希望」として称えていた。私のほうは、「何故こんな大事な時期に日本を離れられるの?」と現地の知人たちに半ば嘲笑された。

W杯の熱狂の一方で、年内に予定されている総選挙をめぐる動きも活発になりつつある。現職のモイ大統領は、「総選挙は予定通り今年12月に行なわれる。そこで後進に道を譲る」という決意を表明した。しかし、与党、KANUの国会議員は、憲法改正の作業が完了する来年5月まで総選挙を延期する意向を示している。その動きについては、「議会の決定には従うより他ない」としていて、総選挙の開催時期は依然として不明である。モイ氏は与党大統領候補としてケニヤッタ氏(与党副党首・地方自治大臣。初代大統領の長男)を擁立する意向を示し始めているが、それに対しても、与党内から反対の声が上がっている。また、他の幹部も揃って大統領選出馬への意欲を示すなど、今後の混乱の可能性は否定できない。

ある野党の党首は新聞記事で、「アフリカからW杯に出場した国は、どこも民主化が進んでいる。ケニアも民主化すればW杯に出場できるということだ」とジョークを飛ばしていたという。

いつの日か、ケニアが

W杯に出場できれば私もうれしい。しかし、事実上続いていた一党制が82年に明文化され、複数政党制が再び導入されたのが10年前。この国で民主主義という外来の概念がどう定着していくのか。ケニアでCanDoの設立準備をしていた5年前の前回の総選挙のことを思い起こす。そのときに経験した社会混乱が記憶に残っている私には、他国の「民主化」の考察はまた別の問題として、単なるジョークとして片付けられない一言であった。

 

「ナイロビ便り」の続き (2002年9月・会報第20号への追加資料より)

91日付の朝日新聞朝刊に、右記の記事が掲載されました。今号の「ナイロビ便り」は、7月はじめの状況を基にまとめたものなので、その後の変化をお伝えします。

当会のナイロビ事務所から93日に入った情報によると、総選挙の開催時期は憲法の規定通りに、今年12月とする方向で準備が進められています。国会議員からの総選挙延期の声は聞かれなくなりました。モイ大統領がケニヤッタ氏を与党(KANU)の大統領候補に指名し、後継大統領としたい意思を明確に示し、党規則に沿って党内の民主的な選挙手続きによる大統領候補の指名を求めている反対勢力 “Rainbow Alliance” への締め付けも厳しくなっています。サイトティ氏の解任は、この党内の反対勢力の解消をめざしたもののようです。

今後も慎重に事態を見守っていきたいと思います。

 



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