「モンバサでのテロ、その後」 (2003年6月・会報第23号より)

大統領選挙・総選挙を控えて緊張が高まっていた2002年11月28日、インド洋沿岸の都市モンバサの郊外で、乗用車による自爆テロが発生しました。被害を受けたのはイスラエル人団体観光客がよく利用するホテルで、従業員らケニア人9人と3人のイスラエル人観光客が死亡、と報道されました。
ほぼ同じ時刻に、モンバサのモイ国際空港では、離陸直後のイスラエルのアルキア航空のチャーター機へ向けて2発のミサイルが発射されました。幸いミサイルは命中せず、264人の乗客と乗員は無事テルアビブ空港に到着しました。
事件直後、テロリストの背後組織に関する観測もありましたが、数人が事件直後に逮捕されたという情報を最後に、事件についての報道は途絶えていました。

5月14日、モンバサのテロと1998年8月のナイロビでのアメリカ大使館爆破の容疑者が、指名手配されました。コモロ諸島出身の20代後半の男性で、コモロとケニア両国の市民権を有し、ソマリアの首都モガデシュとナイロビを行き来している、と報道されています。ソマリアは内戦状態にあり、出入国審査も存在しません。そんなソマリアと長い平原の国境で接しているため、ケニアへはテロリストも武器も入りやすい現実があります。

ケニアでの容疑者が指名手配される2日前、5月12日にサウジアラビアでテロが発生。ケニア国防省は、再びケニアでテロが起こる危険性を即時に警告しました。

テロ反対の立場から、イラク戦争開始の前後は、戦争を支持するケニア市民も多かったと聞いています。その一方、犠牲になるイラクの一般市民への同情も広く見受けられ、モスクから反米デモが出たりもしていました。
日本政府は「積極的戦争支援国」である、とナイロビでは早くから見られていたようです。市街のオフィス・ビルのエレベータに乗り合わせた見ず知らずのケニア人から、いきなり「日本はイラクから遠いのか?」と聞かれたことがあります。「日本とケニアぐらい遠い」とかなり大雑把な返答をしたところ、「だからイラクで何が起こっても良いのか」とつぶやかれました。
戦争終結後、ケニアでは、結局戦争の目的はテロ防止などではなく、石油などの利権のためだったという見方で、反米感情が高まっているようです。


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