引っ越し事情 (2003年9月・会報第24号より)

今年5月、手狭になっていたナイロビ事務所は引っ越しました。まず大変だったのが部屋探し。事務所使用を認めないアパートが多く、一方、事務所用の物件は住居を兼ねたい私たちには不向き。ようやく見つけた物件は、家主委員会の存在するアパート。当会があたった部屋の大家は、委員長の確認を取った上で、事務所使用を認めてくれました。

物の移動も大変でした。事務所兼数人(長期出張者を含む)の住居なので、書類も生活用品も大量。日本なら梱包用にダンボールをコンビニやスーパーでもらえますが、ケニアのスーパーはお客が買った物を運ぶために確保していて、普段利用しているからといって分けてくれません(ちなみにコンビニはありません)。事務所中にあるダンボールをかき集め、足りない分は諦めて、何とか梱包しました。 引越し当日は、運転手・運び屋付きのトラックを借りました。その日事務所にいた3人は、旧事務所で搬出の指示、新事務所で搬入の指示、その間でトラックと一緒に移動、と別れて作業しました。監視の目は足りず、いくつか物が紛失しました。 傑作は、飲む人がほとんどなくて、台所にたまった飲みかけの酒類。1人で運べるものを4人がかりで、やけにうれしそうに、運んでいるなあと思って見ていたら、いつの間にか全て消えていたそうです。かわいい(?)窃盗です。

引っ越してからも事件は続きます。まず、大家は認めたのに、まわりから、事務所使用に対する異議が出たのです。結局は、ここに住んでもいるという事情から、家主委員会で無事承認を得られました。

電話線の開通も大変でした。電話会社は、設備が無いから引けないと言うのです。このアパートは当時、入居開始後1年未満の新築。部屋にジャックはあるのに、建設時にメインの回線から建物へ回線を引き入れておらず、その部分は家主の責任だと言われてしまいました。 地上回線の無い事務所は非常に不便です。「また引っ越しか?」とため息をつきながら3か月近く奔走して、ようやく「無線による地上回線」というものを取得できました。

引っ越して4か月。最近ようやくここが「我が家」になってきました。


ホームへ戻る