「2004年のケニアの概況」キバキ政権の誕生から2年、課題解決のめどがつかず国民に不満 (2005年3月・会報第30号より)

 2002年12月末に、これまで長期間政権を維持してきたモイ大統領に代わって、キバキ大統領が選ばれ、連立政権である国民虹の連合政権(NARC)が誕生しました。
 2004年の末で、2年になります。政権交代のなかで、議論され、国民が変化を期待していた課題が、なかなか解決のめどがたたずに、国民の不満が膨らみつつあるように思えます。

 まず、モイ政権末期に議論されていた大きな課題に、憲法改正があります。
 キバキ氏をはじめとする当時の野党陣営は、憲法改正により総理大臣職をつくり、大統領の権限を縮小する主張を行ないました。それについて、国民的な合意は形成されていた、といわれています。
 ところが、キバキ大統領の出身母体である政党(DP)の国会議員を中心に、反対に大統領の権限を維持する憲法改正が主張されたのです。憲法改正議論は収拾がつかなくなりました。
  新政権は、改正を行なう期限を政権発足から100日以内と約束し、その後、2004年6月末まで延長しましたが、憲法改正は実現できませんでした。
 このため、モイ政権時から憲法改正の国民的合意形成に中心的役割を果たしてきたガイ憲法制定会議議長が、不満の意を表明して辞任してしまいました。

 また、DPを中心に、政党の連合体であるNARCを、党員登録を一本化して単一の政党にしようとする動きがあります。NARC参加政党のなかには、この動きに強く反発して独自の党員登録を行なおうとして、政党間の大きな対立となっています。

 汚職の追放も、新政権の重要な公約です。 
 しかし、モイ政権時代に、警察の法医学研究所を請け負って建設しなかった会社が、新パスポート製造システムを実勢の6倍の価格で契約した事実が発覚しました。関与した当時の高級官僚が逮捕されました。キバキ政権になってからの大臣や高級官僚による汚職の疑いが、国防治安部門の資機材調達などを中心に、次々に明らかになっています。国民から、国際社会から、キバキ政権の汚職対策の遅れが非難されています。  
 キバキ大統領は、「汚職対策は局地的な戦闘ではなく、全面的な戦争である」と国際社会に対して状況への理解を求めています。


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