ムクンガ氏を悼む (2005年9月・会報第32号より)

 知らせは1本の電話でした。いつもの携帯番号へかけたのに、知らない人の声でした。ムクンガ氏と話したいというと、義理の息子だというその人は言いました。
「ムクンガ氏は昨日(2005年5月23日)亡くなった。しばらく病気だったんだ」

 ムクンガ氏は、当会環境事業専門家として、1999年からずっと働いてきました(会報第13号で紹介)。私は2000年7月、環境事業が立ち上がった直後にCanDoに加わり、1年半ほど環境事業を主に担当していました。
ヌーの現場へ行くときは、ほとんどいつも、ムクンガ氏と一緒でした。たくさんの時間を一緒に過ごしました。赤道直下の太陽が照りつける中を、カラカラになりながら、現場の道をテクテク何時間も一緒に歩いたこともあります。道すがらしたいろんなおしゃべりは、どれも忘れてしまいました。でも、ムクンガ氏を身近に感じていたあのときの空気は、今もしっかりと心に残っています。

 ムクンガ氏と一緒に事業を作っていくことは、必ずしも楽ではありませんでした。ムクンガ氏はそれまでの長い経験や自分の思いから、環境事業に対して強いものを持っていました。それは必ずしも当会の方針と合うものではなく、その度に辛抱強く話し合う必要がありました。それは決して楽でも楽しくもないことでしたが、話し合うことのできたムクンガ氏の人柄を、私は尊敬しています。自分の娘といってもおかしくない年齢の、何も分かっていない小娘の言うことに、反論することはあっても、聞く耳を持たないことはありませんでした。私が一度、長期の一時帰国をしていたとき、私とは議論ができたといってムクンガ氏が私のことを懐かしがっていたと、他のスタッフから後で聞いたことがあります。話し合い、一緒に事業を作っていけたことを、私は感謝しています。

 私はまだ、ムクンガ氏が亡くなったことを受け止められていません。10年前に父親を亡くした私にとって、おじさんと呼んで親しんでいたムクンガ氏は、いつの間にか私の中で父親のような存在になっていたのかもしれません。その死を受け止められるようになるには、まだまだ長い時間がかかりそうです。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

  ジャフェス・キマンジ・ムクンガ 
  ダルエスサラーム大学で植物学・動物学を専攻。卒業後、軍隊で11年を送る。退役して、国連、NGOなどで環境分野の仕事に従事。享年54歳。



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