2005年のケニア概況
憲法改正案が国民投票で否決され内閣を解散
(2006年3月・会報第34号より)

 長期政権だったモイ大統領に代わり、連立政権である国民虹の連合(NARC)政権が2002年末に誕生してから、2005年末で3年が経ちました。
 政権交代のなかで議論され、国民が変化を期待していた課題に、解決のめどが立たなかった2004年(2004年のケニア概況参照)。それに対し、2005年はどんな1年だったでしょうか。

 まず、課題の一つが憲法改正でした。モイ政権末期には、憲法改正によって総理大臣職をつくり、大統領の権限を縮小することが、当時の野党によって主張されていました。
 しかし、野党だったキバキ氏が大統領となります。憲法改正の会議では意見が統一できないうちに、結局、強大な大統領を維持する改正案が作成され、国民投票に問われることになりました。
 国民投票は11月21日に無事、実施され、改正案の否決という結果が出ました。その結果を受けて、大統領は全閣僚を解任。12月、新任しました。
大統領の権限を縮小するために憲法を改正するという当初の公約は、実現されませんでした。しかし、政府も国民も、大きな混乱もなくこの結果を受け入れた点では、ケニアの政治的な成熟度を示したと言えます。

 キバキ政権の、もうひとつの重要な公約が、汚職追放です。しかし、2004年に、キバキ政権になってからの大臣や高級官僚による汚職の疑いが、国防・治安部門の資機材調達などを中心に次々と出てきました。
 2005年はその真相解明と責任追及が続きました。国民からの圧力も高まり、取調べが続けられるなかで、2006年に入って副大統領まで取調べを受ける事態となり、また、2名の大臣の辞職につながっています。
 こうした汚職に対する国際社会の反応は厳しく、世界銀行をはじめ多くのドナーが、ケニア政府の汚職を理由に、ケニアへの資金供与を見合わせています。

 このような事情を背景に、キバキ政権下で議論されてきた無償医療制度も、国会を通過したにもかかわらず、大統領によって2005年に否決されました。
 2003年に政権が取り組んだ無償初等教育は、現在も継続されていますが、社会保障をめぐる状況は厳しさを増す1年でした。



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