2007年
[第41号]ケニアの2007年総選挙

代表理事 永岡 宏昌

ケニアでは、5年に一度、大統領、国会議員、地方議員の選挙を一括して実施します。今回の総選挙は、12月27日が投票日となり、現在、本格的な選挙戦が展開されています。

前回の2002年総選挙は、25年間も大統領職にあったモイ氏が引退を表明しながら後継者指名を行なった政治手法に反対して、有力政治家が野党連合、国民虹の連合(NARC)を形成して、キバキ政権を樹立しました。

複数政党制を再導入(*)後に行なわれた1992年、97年の総選挙が、深刻な暴力をともない多くの犠牲者をだしていたことから、前回の総選挙も治安悪化が心配され、緊張した状況でした。しかし、平和的・民主的な選挙が強く意識され、概して平穏・公正な総選挙が実現しての政権交代でした。

今回は、この政権交代を実現した有力政治家が、5年の間に分裂を繰り返して、キバキ、オディンガ、ムシオカの3氏が、有力大統領候補として選挙を戦っています。

キバキ大統領(国家統一党-PNU)は、前回公約としていた与党政治家、公務員の汚職問題の解消をほとんど実現できていません。けれども貧富の格差を伴いながらも経済は好況で、ナイロビでは中流階層が着実に拡大している感があり、政権に対する社会不満は総体的なものとはいえないようです。

一方、対立候補のオディンガ氏(オレンジ民主運動-ODM)は、社会矛盾の抜本的改革を主張する実力政治家で、特にケニア西部で圧倒的な支持があります。

第3の候補ムシオカ氏(オレンジ民主運動ケニア-ODM-K)が、どちらかの候補と協働しないかぎり、現在の予想では、キバキ氏とオディンガ氏とは僅差で投票にいたるようです。

これまでのところ、前回の選挙とは比べられないほど、トラブルや緊張感も少なく選挙戦が推移しています。しかし、僅差による勝敗の決定は、緊張がつきもので、突発的な暴力の発展も心配されます。

この2007年総選挙を通して、ケニアの平和的、民主的な政治が一層定着してほしいと思いながら、事態の推移を見守っています。

*1960年、ロンドンでのケニア制憲会議後、アフリカ人側で2党が結成。1963年の総選挙でケニア・アフリカ人民族同盟(KANU)が大勝。同年、独立。64年、共和制へ移行、KANU党首ケニヤッタが大統領就任。78年、モイ副大統領が第2代大統領に就任。82年、憲法を改正し、事実上のKANUの一党制を明文化。1991年、複数政党制を再導入。

(2007年12月発行 会報第41号「ナイロビ便り」より)


[第40号]市内のムンギキと台所のねずみ騒動

教育専門家  中村 由輝

キバキ大統領が就任したのは、2002年12月30日。今年の12月、大統領選挙と国会議員選挙が予定されています。

総選挙の年、ナイロビ事務所にはいつも緊張感が走ります。その理由は、選挙に絡んでケニア国内の治安状況が悪化することが多かったからです。でも、前回の総選挙以来、状況は変わりつつあるようです。「命を懸けた政治」から、「数の政治」へと変わったのでしょうか、表立った政争による治安の悪化は、今のところそれほど心配ないようです。

そんな状況の中、ナイロビ事務所では、大きな騒動が二つありました。一つは、ムンギキと呼ばれる集団による事件が市内で数多く起きたことです。

ムンギキは、ケニアのマフィアのような存在で、その規模は100万人とも言われていて、政治家との関係も取りざたされています。ムンギキを取り締まろうとする政府の方針に抵抗するように、お金の取立てを拒否したマタトゥ業者や取締りの警官が、ムンギキの犠牲になる事件が多発しました。事件に巻き込まれて命を落とした市民も、多数にのぼりました。

8月に入り、事件の発生を聞かなくなった頃、ムンギキの指導者が逮捕されたとのニュースを耳にしました。今のところ落ち着きを見せていますが、問題は根本的に解決したのでしょうか。不安は消えません。

もう一つは、平和な騒動。台所にねずみが住み着いていたことです。

みんなが大事に食べているエジプト産短粒米を餌に、ひっそりと台所で暮らしていた様子。騒動の発端は、時折する物音や影に悪い予感がして、お米を片付けたことです。餌を奪われたねずみが、夜な夜な暗躍し、果物やパンや粉をかじるだけでなく、ドアに通路を作る工事まで取り掛かかり始めてしまいました。

台所にある食料を徹底的にしまい、住処になっていそうな場所の掃除を始めたとき、ねずみとの遭遇。丸々と太ったねずみは、住処を追われて冷蔵庫の下に隠れてしまいました。ねずみを退治するための作戦として、猫を借りてくる案やネズミ捕りを買いに行く案にみんなが本気になり始めた頃、開け放したドアから出て行ったのか、ねずみの気配がなくなりました。

こちらも落ち着いていますが、一抹の不安が残るナイロビ事務所です。


(2007年9月発行 会報第40号「ナイロビ便り」より)


[第39号]ナイロビのニュースから考えるソマリアのこと

理事  佐久間典子

6月11日午前8時過ぎ、ナイロビの中心街のアンバサダー・ホテル近くで手持ちの爆弾が爆発し、十数人の死傷者が出ました。当会ではムインギ県にレンタカーで行く場合の待ち合わせに決めている場所です。この日、スタッフは公共の遠距離バスで早朝に移動していたため巻き込まれずに、無事でした。

遠距離バスを使う場合は、まず事務所からマタトゥ(乗合自動車)に乗って町中に向かいます。その終点から歩く道筋からほど近いところに、米国大使館がありました。1998年8月、アルカイダによる爆破事件で200人以上が亡くなっています。

朝日新聞のウェブサイトの記事(6月11日23時43分)によると、「ソマリア系を含む犯行グループの多数はまだ拘束されていない」とのこと。今回の事件にも「米国などが、ソマリアのイスラム過激派の犯行の可能性を含め捜査している」と書かれています。

1991年以来、全土を支配する統一政府がないソマリアは、ケニアの隣国。「過激派」の疑いがある人間も、武器も、入ってくるのは難しくはありません。そのソマリアで今年1月、ケニア国境に近い南部の村々が、アルカイダが潜伏していると見る米軍により空爆され、多くの村の人たちが犠牲になりました。

前月、2006年12月には、エチオピアがソマリアの暫定連邦政府軍を支援して進軍。首都モガディシュを制圧していたイスラム法廷評議会軍を敗走させ、ソマリア南部をほぼ制圧しました。約20年前、オガデン地方をめぐる紛争で、ソマリアはエチオピアに敗北。そのエチオピア軍の駐留が続く3月末から4月初め、モガディシュにおいて、エチオピア軍とイスラム勢力の戦闘がありました。4日間で1000人以上が死傷したといわれています。

ケニアにおいて、2004年、ソマリア暫定連邦議会が発足、翌年、暫定連邦政府が設立、その年にソマリア入り、と少しずつ進んできた平和への動きはどうなるのでしょうか。

かつてソマリアには4-4-4-4制の教育制度がありました。それが壊れてしまって16年。内戦が始まったとき生まれた子どもは、のびのび学ぶことを知らずに、高校生の年齢になります。1日も早く、ソマリアに平和を、そしてこどもたちに学ぶ機会を、と祈ります。

(2007年6月発行 会報第39号「ナイロビ便り」より)



[第38号]2006年のケニアの概況 -好景気の中、貧富の格差が拡大しています-

調整員  エバンス・カランガウ/橋場 美奈

好景気に沸くケニア。政府発表によると経済成長率は5.8%とのこと。貧困にあえぐアフリカ諸国の中では、比較的優等生といわれるケニアの位置は揺いでいません。

しかし、人々の生活は、中流層の伸びに対して、貧困層の生活は、物価の高騰やスラムの再開発などでより苦しくなっています。貧富の格差拡大が、ここケニアではますます深刻な問題です。

2006年、スラムや路上マーケットでどんどん再開発が進みました。中でも大規模な変化は、ナイロビの南西に広がる最大のスラムであるキベラで起こっています。古いバラックが取り壊され、一般市民の月給並の家賃を課す高級アパートが建設されています。

南東にあるムクル・スラム群(当会が補習事業を行なっているスラム)は、現金収入を求めて地方から移住してくるカンバ人に加えて、キベラを追われた人たちやなどで、スラムの規模がどんどん拡大しているようです。

また、路上マーケットも、市当局による取り壊しが行われ、変わって立派な市場が建設されようとしています。場所代を払うことができない人たちは店を出すこともできなくなり、生活手段を変えざるをえません。

2007年は総選挙の年。2006年、キバキ大統領が推進する憲法改正の反対に成功した、連立政党のODM(オレンジ民主運動)には、大統領の席を狙う候補が8人います。その中でも有力とされているのが、ライラ・オディンガとカロンゾ・ムシオカで、誰が党の代表になるのか目が離せない状況です。

一方、40名の大臣というケニア史上最大の内閣を率いるキバキ大統領も2期目の大統領職に挑戦することを宣言し、総選挙をにらんで、すでに激しい戦いが繰り広げられています。

総選挙の前には票を狙った政策があちこちで見受けられます。公務員の昇給・年金増額や高校の無料化実施が今回の目玉となっています。しかし、公務員ではない国民や、無料化された小学校を終えられない子どもたち(半数以上)を持つ親にとっては、これらの政策はほとんど無縁。中流層に対象を絞った政策だということが、如実に現れているようです。半数以上を占める貧困層にいる人たちに、経済発展の恩恵がもたらされるのは、いつになるのかわかりません。

(2007年3月発行 会報第38号より)